宇多田ヒカルのアルバム「ULTRA BLUE」を借りて聴いてみました。宇多田ヒカルのアルバムは毎回買っているのだけれど、今回はレンタルされるまで待ちました。
 正直買わなくて良かったです。僕的にはあまり刺激になるところはありませんでした。同じように考えている方もいました。
 
 僕がなぜレンタルされるまで待ったのかというと、今回のアルバムは全曲初めて宇多田ヒカル自信がアレンジをしたという記事を読んだからである。
 今回の曲は、シーケンスソフトのDigital Performerで彼女自身が打ち込み、アレンジを完成させたらしいのだ。
 以前までは、アレンジャーの河野圭さんがほとんどしてた仕事である。Additional ProgrammingとしてAlexis Smithという人がいるけど、ほぼ彼女の仕事であろう。

 このことによって、アレンジに何の楽しみもなくなり、聴いていて眠くなるのである。斬新な音も、メリハリも少ないのだ。悪く言えば、誰にでも出来そうなアレンジなのである。

 一般的に、曲を作るアーティストというものは、三つぐらいのアルバムで、曲のネタは尽きる。これ以後のアルバムは、以前のものの焼き直しでしかない。それが悪いと言っているのではない。どんなビッグなアーティストでも起きることだ。
 しかし、それ以後でも傑作は生まれたりする。

 それはなぜか?

 もう新しいメロディーは生まれない。

 変われるものはなにか?

 それはアレンジなのである。

 レコーディングやミックスダウンも含めてのアレンジである。

 音楽というものは実に深い。
 
 音の組み合わせというものは無限なのである。

 
 アレンジも自分でやった。そのことは凄いことだと思う。普通に考えたらやはり天才だと思う。
 しかし、聴く人には何の関係もないことだ。誰がアレンジをやろうが、彼女の良い曲を聴きたいだけなのである。

 アレンジを自分でやるデメリットも存在する。

 簡単なことだ。客観的になれないことだ。打ち込み作業というものは、僕もそうだけど、緻密な作業の連続だ。右脳を使わなければならない芸術品に、左脳も駆使しなければならないのだ。このバランスが実に難しい。
 それに自分でアレンジして歌入れして、ミックスしていくと、自分で打ち込んだ故に、消せない音が存在してしまうのだ。思い入れがあまりに強くて、客観的な視点が持てなくなってしまうのだ。

 本当にもったいない。
 彼女くらいの実力のある人なら、なぜ日本にもたくさんいる、トップクリエーターの力を使わないのだろう。

 もう一度Distanceのような作品を期待したい。あのアルバムは僕にとってポップソングの教科書というべき存在です。完璧なのです。

 僕にとっての宇多田ヒカルは歌手です。
 ぜひボーカルに専念して欲しい。そして彼女の書く歌詞を1番伝えられるアレンジを作るのではなく、選んで欲しいです。
 彼女の歌詞こそが実は僕が1番すごいと思っています。